三輪そうめん 天日干し
三輪そうめんの歴史は古く、約1300年前に遡るといわれています。
大神神社の大神主が、大和地方の飢饉を救うため、小麦を粉にひき、棒状に練り、乾燥させ保存食としたのが、三輪素麺の始まりです。
11月から3月までの極寒期に製造され、二日間の行程により熟成させた後、天日干しを含む自然乾燥させたものが本物の三輪素麺であると記されています。
天日干しの様子を玉井製麺所で見学しました。
JRまほろば線の三輪駅です。
三輪山を左に見ながら南方向に歩きます。
古い町並みが残っています。
製麺所での作業の様子です。
これ以前に幾つもの行程と熟成が行われています。
直径14㎜から9㎜そして5㎜に引き延ばします。
その後もまた熟成させ、二本の管に麺を8の字に巻いてまた熟成させます。
じっくり熟成された麺を熟成箱から出して、手で伸ばした後機械で伸ばしていきます。
伸ばされた麺をハタにつけ込んでいき、麺が粘着しないように長い箸を入れてさばきます。
さばきながら、さらに麺を引き延ばしていき、2mの長さにします。
屋内では四方八方から扇風機で風を送っています。
いよいよ天日干し。
大和川に沿ってハタが並びます。屋外に干してからも、丁寧に長い箸でさばいています。
乾燥された麺は切断機で19㎝に切りそろえられます。
そして通気性の良い木箱に詰められて、食べ頃になるまで長期熟成されます。
( このブログの中で何回「熟成」という熟語を使ったかしら?)
菅原天満宮 おんだ祭
奈良市菅原東町の菅原天満宮は日本最古の天満宮とされています。
菅原家の先祖は、垂仁天皇より土師氏の姓を賜った、土師器や埴輪の職能集団であったと考えられています。
菅原道真の三代前の土師古人他が、781年にこの地の名である菅原に改姓を願い出て勅許されたとのことです。
近くに菅原道真の生誕の地とされている場所があります。
拝殿での儀式の後に境内でおんだ祭が始まります。
田主が登場。
稲作の課程をユーモラスに演じていきます。
牛も登場します。
牛の熱演にお捻りが投げられます。
お捻りを入れた袋を両側にぶら下げています。
肥やしをやる場面は、観客めがけて撒く素振りなどで、笑いを誘います。
豊穣の願いを込めて籾と小豆を撒きます。
牛を演じ終えた少年。
松葉と藁で作ったお守を頂いて帰りました。
なんや知らんけど・・・・大阪(天王寺界隈)
古いものと新しいもの
四天王寺に向かう途中には、この様な路地が少し残っています。
これは午前中の様子ですが、日が落ちると賑やかになるのでしょう。
此処は悲田院町と書かれています。
聖徳太子が貧しい人や孤児を救うために建てたとされる悲田院は、この辺りに在ったのでしょうか。
天王寺公園の近くを歩いていると、斬新な山門が現れました。一心寺。
11185年に法然が草庵を結び源空庵と称して住んだ場所で、1596年に三河の僧であった本誉存牟上人が、寺として再興したそうです。
建築家でもある現長老高口恭行の設計。彫刻家神戸峰男制作の阿吽像。
広い境内には、ご先祖供養の人々が大勢訪れていて、現役のお寺としての活気に満ちていました。
法隆寺 鬼追い
法隆寺では2月1日から仏法の興隆と国の安泰を祈る修二会が営まれます。(東大寺のお水取りも修二会の行事です。)
法隆寺で鬼追いと呼ばれている追難会は、西円堂で修二会の3日目の結願の後に執りおこなわれます。
西円堂に向かう僧侶
けが防止のために、西円堂は金網で囲まれていました。
堂内で法要が営まれた後に、鉦と太鼓を打ち鳴らして、鬼を呼びよせます。
鬼はそう簡単には現れず、何度も何度も打ち鳴らします。
やっと現れた鬼たち。
松明を渡されると、振り回し見物人の居る方へ投げつけます。金網にぶつかり火の粉が飛び散り、見ている方も結構興奮してきます。
三匹の鬼が三回ずつ回ってきて、松明を投げます。
最後に毘沙門天が登場して鬼を追い払います。
呼び出しておいて、追い払う?
鬼に出てきてもらって、災難を持って行ってもらうと言うことでしょうか?